美術館概要 About

正木孝之と正木美術館

 正木美術館は大阪府泉北郡の忠岡町にあります。泉州は昔から良質の水に恵まれていたことにより、水洗いや染色などのために大量の水を必要とする繊維産業が栄えました。近年は、わが国の紡績工業の衰退に伴いかつて地元で働く若い労働者たちによって賑わった街の活気があまり感じられなくなっています。しかしこの地方は、茶道の大成者・千利休を生んだ堺に隣接しており、茶の湯の文化が町衆の間で広く根づいたところでもあります。

 当美術館の創設者・正木孝之(1895~1985)も、こうした泉州の文化的土壌の中で育ち、後に茶道を熱心に修業しています。孝之は代々続いてきた庄屋の当主として歴史や伝統文化に対する関心を自ずと身につけていました。その上、若いころから工務所や映画館の経営で財を成したことにより早くからコレクターの道を歩み始めています。
 その収集の対象は、はじめ当時の一流の日本画家の作品でした。しかし戦後の混乱期が、孝之のコレクターとしての活動の方向を大きく変えることになります。当時、かつての豪商や財閥家の経済的事情(戦後の預金封鎖等)から代々受け継がれてきた古美術品が蔵から出され、散逸しかねない状況にありました。

その頃、孝之は中国・元時代の文人画家銭選が描いたと伝わる「果蓏秋虫図」との出会いによって東洋古美術品に魅了されていたために、それらの名品の取得に乗り出します。その折購入された主な作品は、大阪の豪商・鴻池家から出た大燈国師の墨蹟、小野道風の三体白氏詩巻、そして藤原行成の白氏詩巻です。それらは、いずれも後に国宝に指定されています。わが国の誇るべき貴重な作品群が孝之のような高い見識と良質のセンスをもったコレクターによって買い支えられたことは文化遺産の継承と保存にとって幸いなことであったと言えるでしょう。
 以後、孝之は収集の主な方向を東洋古美術品、特に中世の禅宗文化の墨蹟と水墨画、あるいは茶道具と定めるようになります。また彼は、歴史や芸術に対する生来の関心の深さから奈良時代から江戸時代にかけての美術工芸品、埴輪や銅鏡といった考古資料、あるいは仏教関係のものなど幅広い分野の作品をも収集し、その供覧や研究に積極的に取り組むようになります。

 昭和43年に孝之は、満を持して多年にわたって収集してきた美術品と土地・建物を寄附し、「正木美術館」を設立しました。現在、収蔵品の数は国宝3件、重要文化財13件を含む約1300点にのぼります。また、展示館の隣に住居かつ茶道の実践の場でもあった茶室付の正木記念邸(登録有形文化財)があります。孝之は「正木美術館誕生記」に、世界の各地から学者や好事家の来館があることについて「これが(略)世界平和の上に大いに役立っているものと自負しております。(略)泉北の工場地帯に播かれたこの一粒の種を身をもって大切に育てて行きたいと思っております」と記しています。
 今日、政治や経済がグローバル化するとともに、競争や争いも激化し、社会全体が不安定になってきています。孝之はかつて「文化の灯 世界を包め赫々と」と呼びかけています。私たちも創設者のこの思いを引き継ぎ、人と社会のより豊かな繋がりを求めていきたいと思います。

正木記念邸(国の登録有形文化財)

昭和24年に創設者・正木孝之が自宅として設計した邸宅で、後年、隣接する現在の場所へ美術館を建てました。昭和43年の美術館開館後も住居としていましたが、現在は美術館の施設として活用し、展覧会開催中の土日祝には、内部(一部)の見学が可能です。
また、正木記念邸の北東隅には、三畳台目と六畳の茶室が設けられており、孝之の雅号である「滴凍」の軒号で呼ばれています。普段は非公開ですが、茶会や展覧会関連イベントの等の際に、茶室の一部を公開しています。