中国南宋時代の高僧虚堂智愚(1185-1269)を描く肖像画であるが、
一休の頂相とも伝わる。一休およびその弟子たちは、彼と虚堂智愚が同身であることを信じていたといわれる。
「一休和尚年譜」の長禄二年の条に、あるとき一休の弟子が酬恩庵へ虚堂智愚の頂相を寄付するために送った。その夜弟子の二人は酬恩庵に
一休がやってくるという同じ内容の夢を見た。翌朝、虚堂智愚の頂相が酬恩庵に届き、同じ夢を見た弟子二人は虚堂が一休の前身ではないだろうかと思い至る。ここから一休と虚堂智愚が同身であるという説が生まれた。
こういった話はあくまで逸話として慎重に取り扱う必要があるが、可否はどうあれそのような逸話が生み出されるという点に注目しなければならない。すなわち、「一休和尚年譜」を書いた弟子たち、また一休自身が、虚堂と同身であることへの強い願望があったということである。
一休は何よりも自身が虚堂智愚の法脈に連なることを誇っていた。またその弟子たちはその師と虚堂が同身であることを願っていた。
そして一休=虚堂というイメージを重ね合わせた特異な像が誕生したのである。
