宗峰妙超(1282-1337)は京都大徳寺の開山。
国師号を贈られ、大燈国師という。彼は一休が敬慕していた虚堂智愚の法嗣、南浦紹明から教えを受けた。
渓林偈、南嶽偈の二つは、その法祖父にあたる虚堂の偈を書写したもの。一休にとって、宗峰妙超は虚堂の教えに連なる重要な師である。あまたの禅僧の中でも、虚堂から大燈へと伝わる禅の教えを身につけたのは自分だけであると一休は述べる。そして後年、大燈国師が開山し、応仁の乱により荒廃した大徳寺を、一休は復興する。
本墨跡の書風は、破格の書というにふさわしく、力強く堂々としている。自身の全てを紙にぶつけたような気宇軒昂たる筆跡である。
本墨蹟は、鴻池家から正木孝之の手に渡った、正木コレクションの中でも白眉と言える作品である。
